私を激しく駆り立てるもの

(その1)三つ子の魂百までも
 思想を方向づけた幼児体験
 
父の仕事の関係で、私は4歳半から6歳半までの2年間をアメリカで暮らしました。その最後の半年間、私はアメリカの幼稚園に通いましたが、その時の体験がその後の私のものの見方や思想形成に大きな影響を与えることになったと思われます。30人くらいのクラスに日本人は自分一人だけ。そのような環境に投げ込まれると、いやでも子ども心に、自分が日本人であることを、また、国や民族について意識せざるをえなかったものと推察されます。




(その2)活動力の源が
  培われた青春時代

 アメリカでの幼児体験のせいか、私は他の同世代の者と比べて、国や公といった概念に対していささか感受性が高かったように感じられます。そんな私は学生時代、友人たちと好きなボーリングや将棋、あるいは吹奏楽に打ち込む一方、普段の話の話題となると、少し政治や歴史がらみのものに片寄りがちの傾向があったようにも思われます。もしかするとこの青春時代にこそ、私の今の活動力の源が培われたのかもしれません。



(その3)混迷の真因
 今の日本に唯一ないもの

 歯科大学卒業後、母校で研修医生活を送っていた私は、ひょんなことから、今でも大変印象に残っている名講演を拝聴する機会に恵まれます。その講演で講師であったある有名な史家は、「お金さえ出せば何でも手に入いる今の日本に唯一ないものがある。それは日本だ。日本には日本自身が存在していない」と喝破されたのです。それまで、社会の風潮や世相に何か釈然としないモヤモヤを抱き続けてきた私にとって、それはまさに目からウロコのご指摘でした。現代日本社会混迷の真因は実に自己喪失にあるといっても過言ではありません。


(その4)「拉致」救出運動を
県下で立ち上げる

 阪神淡路大震災が契機となって矯正歯科を開院した私は、ちょうどそれと機を一にして、5,6人の有志の方々と共に時事問題や政治について学ぶ活動を開始することになります。その私たちのグループに、平成8年夏、今では全国民が知っている「日本人拉致」の情報が舞い込んだのです。最初は半信半疑だった私たちも有本さんや横田さんのお話を直接うかがうに及び、「これは間違いない。国家の根幹を揺るがす大問題だ!」と確信するに至りました。被害者家族会の発足を受けて、兵庫では私たちが「救う会兵庫」を立ち上げ、全国各地の支援者の皆さんと共に今日まで草の根の救出支援活動を続けています


(その5)一念発起!
 政治の世界に飛び込む

 平成14年春、拉致問題をめぐり一つの動きが起こります。有本恵子さん拉致に関わったある日本人が、有本さんご夫妻の前で土下座して謝罪するというシーンが全国を駆けめぐったのです。それまで何故かこの問題に対しては冷ややかだったマスコミも、連日連夜、トップ・ニュースとして本件を取り上げました。社会のこの驚くまでの激変ぶりは、有本さんご夫妻や同志の方々と、いわば“孤独な戦い”を続けてきた私にとって、それまでの人生では味わったことのない実に衝撃的なものでした。その際体感した精神的な高ぶりが原動力となって、私は、「同じ政治活動に参加するのなら、もう一歩踏み込んでやるべきではないか。ぜひ、挑戦したい!」と一念発起し、当時ご縁をいただいていた加古川市で市議選に挑戦。極めて短期間の準備にもかかわらず、多くの方々の絶大なご支援により市政壇上へと押し上げていただきました。



(その6)現在、県政に志を立て 後援会活動を展開中
 平成18年7月、大過なく市議として一期4年の任期を満了させていただきましたが議会活動を通じて、広域行政や自治体間あるいは県・郡・市町の連携強化の重要性を痛感させられました。また、さらに引き続き、教育、福祉と警察行政の充実のために働かせていただきたいと熱望しています。そんな強い思いから、現在、幼い私を育んでくれた加古郡の地で県政に志を立て、後援会活動を展開させていただいております。加古郡の、そして兵庫県の発展のため力一杯がんばる所存です。どうか、ご支援ください!


 


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